明治40年 | 5月 | (創立) | 名古屋市東区豊前町において曽我作太郎がガラス製造業を開始。 |
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昭和21年 | 3月 | 戦後の荒廃のなか曽我硝子製造所(名古屋市北区矢田町1-3)として再開卓上食器を製造する。 | |
昭和23年 | 12月 | (設立) | 株式会社曽我ガラス製造所を設立。名称ならびに組織を変更する。 |
昭和25年 | 6月 | 押型ガラス食器の製造に着手する。 | |
昭和27年 | 3月 | 曽我式回転押型機械を開発(実用新案特許)生産能力を向上押型専門メーカーとしての地歩を固める。
※当時のガラス食器の荷造りの常識であった炭俵に縄掛けをダンボールカートンと化粧函姿にどこよりも早く切り替え、これにより同業者はもとより他業界の包装様式にも大きな刺激と革命を引き起こすと共に、販売システムの確立に対しても国内の主要都市に8代理店を設けさらに全国主要都市すべて網羅する特約店(約300社)を整備して当社発展の礎を確かなものにした。 |
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昭和35年 | 11月 | 曽我式自動押型機械を開発大量生産体制を築く。 | |
昭和37年 | 10月 | 小牧市本庄に新工場を建設。 | |
昭和38年 | 4月 | 曽我ガラス株式会社と社名を変更する。 | |
昭和42年 | 9月 | クラフト製品の半自動生産を開始。 | |
昭和43年 | 9月 | 米国製プレス成形機を導入。 | |
10月 | 東京支店開設。 | ||
昭和44年 | 8月 | 台湾玻璃公司に技術指導。 | |
昭和45年 | 3月 | JIS指定工場となる。 | |
9月 | 大阪支店開設。 | ||
昭和46年 | 5月 | 西独マルスベルガー社と技術提携成立しブローイングマシン及びステムウェアー製造機の導入によりタンブラー細足製品の生産を開始する。 | |
昭和47年 | 11月 | 韓国ソウル市三光硝子に技術及びプレス成形機を輸出してクラフト製品の生産を現地にて開始。 | |
昭和48年 | 12月 | 中国とプラント輸出成約なり上海、天津、重慶に技術指導をする。この頃より各国に技術者を派遣する ようになり、当社の名を海外に知らしめる。 | |
昭和58年 | 8月 | アメリカのロサンゼルスに展示場開設。 | |
10月 | 企業の多角化をはかるため新事業部を開設し、グリーン事業、教育産業事業、コンピュータ関連事業の 新分野に進出する。 | ||
昭和59年 | 6月 | 新事業部のコンピュータ関連事業を分離独立させ株式会社サンライズシステムを設立。 | |
昭和60年 | 5月 | イタリアのクリスタルメーカーのRCR社、ベルギーのソーダガラスメーカーのデユラボー社と業務提携し、デザインの交換、商品の売り分け交換、マーケティング情報の交換、技術交流を4つの柱とし国際化時代を迎え、国際的な協調体制を確立し、世界的に市場の拡大を図る。 | |
9月 | 名古屋市千種区四谷通一丁目ノア四谷ビルに初のアンテナショップ「エトワール・ソガ四谷店」を開設。 イタリアのRCR社、ベルギーのデユラボー社との共同企画品を展示販売。本社社屋内にジャパンクリスタルも同時に開設。 | ||
11月 | 新溶解炉を築く。これにより大型製品の製造に威力を発揮し、国際化戦略を積極的に推進する礎となる。 | ||
昭和62年 | 10月 | 株式会社SOGAを設立。 | |
昭和63年 | 1月 | ヨーロッパ市場拡大に伴いロンドンオフィス設立。 | |
11月 | アメリカ市場拡大に伴いニューヨークオフィス設立。 | ||
平成元年 | 2月 | フランクフルト国際見本市に出展。 | |
平成 2年 | 9月 | 上海曽我玻璃有限公司合弁設立。 | |
平成 8年 | 12月 | パッケージ印刷会社ソック株式会社設立。 | |
平成10年 | 6月 | NORITAZEH社(イラン工場)との技術指導契約成立。 | |
平成18年 | 1月 | 愛知ブランド認定取得する。 | |
2月 | 創立100周年を迎える。 | ||
平成19年 | 2月 | 小牧工場内にISO館建設。 | |
5月 | 最新鋭プレス成形機を導入。 | ||
8月 | ISO 9001:2000 / JIS Q 9001:2000 認証取得する。 |